motoryoshiの紀行文

結婚して今年4月に13年を迎える夫婦のお出かけ記録です

2009年モンブランUTMB

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独身時代に参加したモンブランです。

 

以下2009年独身時代にモンブランの大会に参加した時のレポートです。

所属する横浜いずみ走友会の掲示板に投稿した内容です。

今まで書いた中で一番長い文章です(笑)

この翌年の2010年にも一人で参加してきました。

その時は悪天候で31キロ地点で大会は中止になりましたが、翌日コースを98キロのCCCルートに変更して継続しました。

結果、初日と合わせて120キロくらいのコースをなんとか時間内完走することができました。

2011年からのモンブランは奥さんと一緒に参加してます。

そのレポートはこれから書いて行きます。

まずはモンブランがどんな大会か?2009年の記事で説明するために掲載します。

写真は2009年と2010年両方のものです。

 

以下、2009年の投稿内容

ウルトラトレイル・ツ-ル・ド・モンブラン(以下UTMB)に参加してきました。

結果から言いますとこのレースのために旅費や用品に40万以上の費用をかけて、9日間の休みを取り、過去8ヶ月間に7つのトレイルレースに出場して準備をしてきましたが、123キロ地点で眠気と疲労と寒さのため自主リタイヤしてしまい、今は悔しい気持ちでいっぱいです。来年はぜひリベンジを果たしたいと思います。
このレースは7年前に第1回が行われました。その時は季節はずれの雪のため800人の参加者中67人しか完走できず、それ以来、「地球上で最も過酷なレース」と呼ばれています。ここ数年は天候にも恵まれ完走率も50%くらいを保っていますが、厳しさにおいてはトレイルレースの最高峰の大会です。

・UTMBについて、そしてエントリー
コ-スはフランスのシャモニ-がスタート&ゴ-ルで、ツ-ル・ド・モンブランという名高いトレッキングコ-スを1周します。このコ-スはモンブラン山群を一回りするため、通常のトレッキングでは山小屋に泊まりながら9日かけて廻るそうです。全行程166キロ(100マイル)フランス、イタリア、スイスの3ヶ国を廻る雄大なコ―スです。
レースでは途中11ヶ所の関門を制限時間内に通過した上でゴ-ルのシャモニ-に46時間以内に帰ってこなければ完走扱いにはなりません。途中2500メートル級の山4つと2000メートル級の山5つの頂上を経由するため、累積標高差はなんと9400メートルとハセツネの2倍以上あります。この累積標高差は五合目からの富士登山7回分に匹敵します。
今回このレースには世界55ヶ国から2300名のエントリーがありました。今年からエントリーの基準が変更になり、各国のそれぞれ指定された長距離トレイルレースの完走経験者の中で指定ポイントを獲得した者のみがエントリー可能になりました。日本では昨年のおんたけ100キロ3ポイント、ハセツネ72キロ2ポイント、斑尾60キロ1ポイント、北丹沢44キロ1ポイントの4つのレースが指定され、計4ポイント獲得によりエントリーが可能になりました。私はおんたけとハセツネで5ポイントあったのでダメもとでエントリーしたところ、当たってしまいました。
昨年鏑木さんが4位に入ったことにより今年は日本人のエントリーが一気に20人に増えました。そのうちの一流選手8名を除く9名の人たちやCCC(98キロの部)に参加する日本人10名とブログで交流を深めてきました。その中でもUTMBに過去3回参加していてフランス語も堪能な小野さんという方のアドバイスはとても参考になりました。小野さんにはレースのアドバイス以外にもシャモニ-までのタクシーの手配や観光の面でもお世話になりました。前置きが長くなりましたが以下、今回の私の旅日記です。



8月25日(火)~日本出発~
いよいよ夢にまでみたUTMBへの出発日です。成田発11:15のアムステルダム行きに乗るために出発ロビーにいたところ、ブログで知り合った日本人参加者が続々と集まってきました。今回たまたま皆さん同じ格安チケットを購入したため、同じ飛行機になり楽しい旅になりそうです。アムステルダムまでの11時間はワインとビールと爆睡で過ごしました。アムステルダムで乗り換えてスイスのジュネーブに向かいます。ここで他の日本人参加者とも合流して計14人(全日本人参加者の半分近く!)で小野さん手配のタクシーで22時にシャモニ-入りしました。私は日本人経営のポワンイザベルというホテルに宿泊です。

8月26日(水)~レース2日前。シャモニー近郊散策ジョグとレース受付~
9時半集合で小野さんお気に入りのトレイルを軽く17キロ?のジョグをしました。抜群の景色の中、実に気持のよいトレイルでした。それにしてもみんな早い・・ハセツネ10回完走やサハラマラソン完走者、おんたけ女子4位、北丹沢5時間台、フルサブスリ-、ウルトラ9時間台、ハセツネ12時間台。こんな人たちばかりで、たぶん自分が一番遅いと感じました(泣)
シャモニ-に帰ってきて昼食後解散してからレースの受付に行きました。受付ではNHKのカメラを従えて鏑木さん(今回日本人最高位の総合3位)が緊張の面持ちで受付をしていました。10月下旬の総合テレビの45分番組で彼の挑戦が放映されるそうです。他にも横山、渡邊、間瀬選手もいて少し立ち話をすることができました。横山さんからはゼッケンのつけ方(上部はゴムで首からぶら下げる、着替え時に楽)などのアドバイスをもらいました。とても気さくな人でした。
受付時に腕にIC チップ入りの赤いタグをつけられます。レースが終わるまで取れないので邪魔くさいのですが、これをつけているとよく話しかけられます。フランス語なので意味不明ですが、頑張れ!とかだと勝手に解釈しました。ちなみにCCC組は緑色のタグで色分けされています。
その後やたらに腹が減ったのでテラスのレストランでケバブとピザを注文したら両方とも巨大すぎて後悔しました。ビールで流しこみながらやっと半分食べて残りをテイクアウトしてホテルに帰りました。味は美味しかったですが・・毎日朝からビール(超安い!)飲んでいるので体調は絶好調です。

8月27日(木)~レース前日。エギュ・デュ・ミディまで~
小野さんのアドバイスに従い、空いている朝7時に集合してモンブラン展望台のエギュ・デュ・ミディまでロープーウェィを乗り継いで行ってきました。標高3842メートルと日本では体験できない高さからの眺めはまさに絶景でした。
その後は街を散策して買い物ざんまいです。この日までは単なるオノボリさんと同じ行動パターンです。余談ですが、日本人スタッフが常駐しているスネルスポーツに日本人参加者用連絡ノ-トを置かせてもらったので現地での連絡や情報交換は全てそこを基点におこないました。

8月28~30日(金~日)~いよいよスタート!~
いよいよレース当日、18時半のスタートに備えてホテルで完全休養です。昼間はなかなか寝むれませんが、これから2日間の徹夜行軍が続くことを考えると夕方まで無理矢理にでも寝ようと思い横になっていました。
17時に集合して(CCC組7名は当日9時に既にスタート済み)スタート地点に向かいました。装備は約5キロ。レギュレーションは以下です。水1リットル、行動食、ライト(スペアと予備電池)、雨具、防寒着(ジャケットと長袖)、テ-ピング、携帯、パスポート、ホイッスル、エマージェンシーシ-ト、手袋、帽子とだいたい日本のレースと同じです。全部で19ヶ所もあるエイドのうち16ヶ所くらいで水以外に軽食(ス-プ、チ-ズ、パン、チョコ、ビスケット、サラミ、ドライフル-ツ、バナナ、マカロニ、ヌ-ドル等があるので、ハセツネに比べると着るもの以外は軽装ですみます。
日本のレースと違うのはエイドを出るときには水1リットル以上になるように補給が義務付けられているので、レース後半になっても行動食分しか荷物が軽くならないことです。むしろ夜間のほうが防寒着やライト、手袋などを着用するので背負う荷物は軽くなりました。
レースですが18時にスタート会場に着いた時には狭い会場は超満員だったため一番後ろの高いところからビデオ撮影をしていました。スタートに向けてテ-マ曲がガンガン流れて最高に盛り上がった18時半ジャストに全員のカウントダウンで一斉スタートしました。私はビデオ撮影後に最後尾から出ましたが1キロくらいずっと沿道の物凄い応援で感動しました!ゼッケンには国旗が掲示されています。私が日本人とわかるとコ-スに一般の観衆が入ってきて一緒に記念撮影したりして、なかなか前に進みません。ジャポン!ジャポン!の大合唱に応えているうちに、まだスタートして100メートルしか走ってないのに優勝したようなハイな気分になってしまいました(笑)
途中の私設エイドでビールを補給して8キロの平坦な林道のランから始まります。この区間は必ず走るように小野さんに言われていたので、キロ6分半くらいでダラダラと走りました。

シャモニー~21Kセントジーバス~31Kコンタマイン
間もなく急な登りの林道に入ります。ここから7キロで800メートルの登りです 途中で暗くなりヘッドライトを装着してひたすら登ります。蛍光の道標がひんぱんにあり、まず迷うことはありませんが、一度だけ暗闇で迷い方向を見失いました。なんとか無事にコ-スに復帰しましたが冷や汗をかきました。
途中で霧が出てきてかなり苦戦しました。特に降りはよく見えないため何回か転びタイツも破けて尾骶骨も打撲で痛い思いをしました。得意の降りで走れないのでペースが上がりません。標高差787メートルを一気に降って21キロエイドです。ここでは水のみの補給です。
次の31キロ6:15の関門に油断していると引っ掛かると小野さんに言われていたので休憩なしで先を急ぎました。標高差353メートルを登って31キロに着いたのは制限35分前でした。このレースは全てエイドを出てからタイムチェックなのでギリギリに入ると補給も休憩もできないのが辛いところです。時間も深夜0時を回っており、暖かいス-プをお代わりして出発しました。深夜にもかかわらず大勢の人がたいまつに火を灯してカウベルを鳴らして応援してくれます。DVDで見たのと同じ光景でとても感動しました。

・39Kバルム小屋~44Kボンノム~60Kセイニュ
バルムの小屋まで標高差546メートルを登り、そこからさらに773メートル登り、2479メートル、44キロ地点のボンノム小屋に着きました。こちらの夜は21時くらいまで明るいですが、朝は逆に7時までは真っ暗です。気温はマイナス5度くらいだと思います。
寒いですが前半のためかまだ元気で、そのまま一気に標高差930メートルを駆け降りて50キロ地点に制限マイナス45分の5:30に到着してホッと一息つきました。
ここで食料を補給してから60キロ地点、標高2516メートルのセイニュのコルを目指して標高差967メートルの長い登りが始まります。

・60Kセイニュ~78Kクールマイヨール
山頂からイタリアに入ります。今度は546メートル降りてからまた標高差465メートルの登りが始まります。69キロ地点、2435メートルの山頂から一気に1245メートルの激降りを終えると78キロ地点、18:45制限のクールマイヨールに制限マイナス30分の午後12:45に到着しました。
ここはイタリアの観光地ですが、小さな田舎町でとてもきれいな街でした。ちなみに先立っておこなわれた98キロのCCCはここがスタートでシャモニ-がゴ-ルです。シャモニ-との間はアルプスをぶち抜く11キロのモンブラントンネルで結ばれており、バスの所要時間は僅か1時間です。山を走ってくると17時間以上かかるのに・・

クールマイヨールでの私設おにぎりエイド、そして照りつける太陽~
ここでデポしていた荷物を受け取り2晩目に備えてライトの電池交換やジェル等の補給をしました。時間に余裕がなかったのですぐに出発しました。デポで残りの荷物を数えたらざっと200くらいありました。最後尾からスタートしましたが、やっとこれだけ抜いたんだと自己満足して、なかなかいい気分を味わえました(笑)
他の日本人参加者のサポートの女性からおにぎりの差し入れもいただいてすっかり元気になりました。こちらに来てから初めての米でした。快晴で強烈な日差しが照りつけ気温も25度まで上がり暑くて辛い時間帯でした。エイドを出てから日当たりの良い標高差799メートルの登りが始まり汗ダラダラかいて必死に登り切り、エイドでコ-ラを3杯もお代わりしてしまいました。 このレースは全エイドにコ-ラがあります。日本のトレイルレースも是非見習ってほしいものです。もうひとつ日本と異なるのはレギュレーションでマイコップ持参(私は事前に100円ショップで購入、大会ロゴ入りは受付会場でも販売しています)が義務付けられているので紙コップのゴミが出ないことです。環境のためにもとてもすばらしいと思いました。

・82Kベネトーネ~絶景に感動!
ここの山頂が82キロ地点、標高1989メートルです。ここからアミュバの関門までの14キロは景色抜群の開けた尾根道の細かいアップダウンの繰り返しです。白人はこういうとことかガレ場は早い人が多いです。彼らは登りも早いけど、降りは苦手な人が多いみたいに感じました。
この区間はとにかく景色抜群で左にモンブランと世界三大北壁のグランドジョラスを望みながら進みます。トップ選手たちはまだ暗い時間にここを通過しているのでこの景色は見られません。なんかすごくトクしている気がしました(笑)

・90Kボナッティ~94Kアミュバ~99K極寒のグランド・コル・フェレット
90キロ地点のエイドで先行していた江口さんに追いつきました。彼はウルトラを9時間台で走る人ですが、あまりの登り降りの多さにウンザリしていて1時間も休憩しているとのことでした。頑張ればまだ間に合うことを伝えて2人で一緒に歩き始めました。彼からの情報で小野さんが1時間先を走っていること、月間2000キロ!!(毎日70~80キロらしい)の練習を欠かさずスパルタスロンも好タイムで完走している田口さんがクールマイヨールでリタイヤしたこと、やはりウルトラ9時間台の桜井さんが60キロ関門に引っ掛かりリタイヤしたことを知り、その時点ではファイトが沸いてきました。
アミュバまで251メートル下ってエイドにいたら曽根さんが追いついてきました。彼もウルトラ9時間台の人です。ここからコ-ス最高峰、スイスとの国境にそびえ立つ標高2537メートルのグランド・コル・フェレットを目指して標高差768メートルの長い登りが始まります。日も暮れてきて天気予報通り風が強烈に吹いてきて、一気に氷点下まで下がりました。つい数時間前まで25度もあったのに・・この温度差は劇的でした。寒いので急いで登って山頂には3秒しか滞在せずに2人を置いて走って速攻下山しました。

・99Kグランド・コル・フェレット~108Kラフォリー~123Kシャンペ
この山頂が99キロ地点で次の関門の標高1593メートルのラ・フリが108キロ地点になっていますが、降り中心の9キロで2時間もかかってしまいました。2晩目の夜を迎えてそろそろ疲れがたまってきたせいだと思います。とにかくこの区間で激しく消耗してダメかも?とちらついてきました。疲れと寒さで食欲はなかったのですが、暖かいスープやヌードルを無理矢理補給して関門閉鎖15分前に半分イヤイヤ気分で出発しました。
思えばこの時点でかなり消耗していてモチベーションもだいぶ下がっていたように思います。他の2人も相前後して出発しました。2日目の夜もそろそろ23時を迎える時間になり寒さと疲労と眠気のピークでした。次の関門までの10キロのアップダウンは降りでも全く走れなくなり、フラフラしながら歩いた記憶があります。コ-スはよく覚えていません。たいした登りもないので体も暖まらず震えながら歩きました。恐ろしく冷え込んで風も強かったため体感気温はマイナス10度以下だったと思います。このあたりから他の選手のライトを見たり、後ろで足音を聞いたりの幻覚、幻聴も体験しました。これって遭難一歩手前じゃんとか思いながらとにかく次の関門で休むことだけを励みに歩き続けました。
やっとの思いで関門に着いたらなんとそこは関門のみでエイドはなく123キロ地点のシャンペまで行くように言われました。ここではリタイヤはできないとのことなので仕方なく5キロ先、標高差427メートルの登りを登り切ったシャンペを目指しました。

疲労のピークで到着、123Kシャンペー。そしてリタイヤ
この1時間半は孤独でした。制限ギリギリなので後ろにほとんど選手はいないので1人旅状態でした。食欲もなくひたすら眠くて何回か崖から落ちそうになるたびに目を醒まして前に進みました。
シャンペに制限マイナス13分の午前2:47に到着した時は寒さと疲労のピークで仮眠をしたかったのですが、そんな時間はありませんでした。
悩みましたが、寒くて仕方がないこと、まだ残り43キロもある上に2000メートル級の山を3回登らなくてはならないこと、いずれも500メートル近く登って降りること、累積標高差はまだ2500メートル残っていることを考えると、これ以上進むのは無理と判断してリタイヤしました。

あとで聞いたところ私より3時間早くシャンペを通過した小野さんはなんとか44時間半でめでたくゴ-ルできましたが、江口さんもシャンペでリタイヤ、曽根さんは私の10分後にギリギリ通過した後にコ-ス途中で寝ているところをスタッフに見つかり失格になったそうです。寝ていたことは本人も記憶にないそうで、これって間違いなく遭難だよね?とか言って本人もあとで笑っていましたがスタッフは2000メートル級の山なので危険だという判断をしたみたいです。
いずれにせよ私のUTMBは33時間、123キロで終了しました。

・リタイヤバスでシャモニー
リタイヤバスに乗って朝5時半にシャモニ-に帰ってきました。ホテルで5時間ほど寝たらすっかり回復して睡眠の大事さを思い知りました。今回は初参加ということもあり、ずっと押さえめで行きましたが、もう少し早いペースにして仮眠所のあるシャンペで30分~1時間程度の仮眠がとれれば多少は回復したかもしれません。小野さんも1時間くらい寝たそうです。2晩完全徹夜で行けると考えていたのが大きな間違いでした。


・UTMBレースを振り返ってみて
考えてみれば今まで2晩徹夜で歩き続けた経験はありません。自分のスタミナを過信した結果です。1晩徹夜のレースはハセツネやおんたけで何回も経験していたので、最初の夜はなんともなかったのですが2晩目は日が暮れてからは全然ダメでした。
幻覚、幻聴も初めての体験です。たぶん歩きながら寝ていたのでしょう(泣)
あとから小野さんに言われましたが、このレースは早い人は20時間前半でゴ-ルをするので1晩徹夜で済むが、遅い人は2晩徹夜になるのでむしろキツいですよと・・確かに2晩目は辛かったですね(泣)


・UTMBレース対策とコミュニケーション
来年までには寝ないでハセツネコ-ス2周(でもまだ144キロ)の練習も必要に思いました。トレイルレースにたくさん出ることよりむしろ長距離、長時間歩き続ける練習が必要です。UTMBを完走するためには登り坂を走る能力は全く必要ありません。50キロくらいのトレイルレースとは別の競技だと感じました。いかにしつこく止まらずに歩き続けるかがポイントですね。
あとはやはりペース配分ですね。シャンペで仮眠できるくらいの余裕があれば完走はグッと近づくと思います。英会話も少し練習したいですね。睡魔に襲われる時間になると他の選手に話しかけられることが多かったですが、会話が続かなくて残念でした。みな眠いので誰かと話したいのだと思います。フランス語は無理でも英会話ができれば眠気防止にも役立つと思いました。今年は残念でしたがこの経験を生かして来年は完走を目指したいと思います。とにかく素晴らしいレースです。コ-ス、景色、雰囲気、応援、運営、どれをとっても最高です!!

・まとめ
今回は残念な結果でしたが、来年への楽しみがひとつ増えました!他人のゴールシーンを見ていて感動で涙が出ました。
こんな体験は初めてです。良い体験をしました。確かに猛烈に悔しい反面、こんな素晴らしいレースに出会えたことに感謝しています。来年は必ず完走して泣きたいと思いました(笑)これでまた練習ができそうです。
なんせ完走賞は大会主催者のTHE NORTH FACEの黒のフリースベストで胸にUTMB FINISHERの文字が縫いこまれているカッコイイものです(CCCは赤)
これだけでも市価1万円以上するものです。来年は絶対にゲットします!!
一緒に行動した166キロ、46時間制限のUTMB組9名中、完走は4名。タイムは昨年のサハラマラソン完走者の関さんがダントツの36時間台。43時間台が2名と44時間台が1名。リタイヤ組は60キロ、78キロでそれぞれ1名づつ、私も含めて123キロで3名。
もうひとつのレースの98キロ、26時間制限のCCC組7名は1名を除き完走。1番早い人はおんたけ13時間台で4位の女性で20時間台、他の人はいずれも21~25時間の間でした。相当にキャリアを積んだ人たちでこのタイムですからやっぱ厳しいレースです。
今年のUTMB完走率は 2300人中1382人、60%でした。 日本人完走者の割合は50%くらいだと思います。やはり今年から参加基準を厳しくしたせいもあると思いますが、完走率は例年より高いです。
私はとりあえず123キロ、累積標高差6,900メートルを33時間かけて歩き走ったことは全て初めての体験でした。この経験を来年に生かしたいと思います。
応援ありがとうございました!!